小室ファミリーの全メンバーの現在!大ヒットのあの人から不発だった人まで!

*出典:Naverまとめ

1990年代に小室哲哉がプロデュースする楽曲がオリコンチャートを独占しまくった時代がありました。

小室哲哉はTMネットワークとして活躍していましたが、解散後は作詞作曲を手がける音楽プロデューサーに。

しかし、音楽プロデューサーの走り始めは決して順調ではありませんでした。hitomiやTRF、ANISSなどの作詞作曲を手掛けるも、オリコンチャートで100位以内にも入ることはできず、観月ありさなどのようにもともと兼ね備えていたネームバリューだけでしか売れないという状態。

それでも、音楽プロデューサーとなってから2年ほどたったころにはTRFの「EZ DO DANCE」や中森明菜の「愛撫」、篠原涼子の「恋しさとせつなさと心強さと」が話題を呼び、小室哲哉の作曲に注目が集まり始めました。

それから1990年代後半まで小室ブームは続くことになるのですが、小室哲哉がこれまでプロデュースしたアーティストたちは現在、どのような活躍をしているのか。

小室ファミリーの現在「あの人は今」を追求してみました。

TRFの現在

小室哲哉のプロデュースで1993年2月に「GOING 2 DANCE」でデビューした5人組。

デビュー曲はオリコンチャート圏外でしたが、2ndシングルEZ DO DANCEがオリコン15位のヒット。
翌1994年にリリースした「survival dAnce」が初のオリコン1位を記録して、一躍大物グループとなりました。

それから1999年までヒット曲を連発。
その後は7年ほど楽曲を発表しませんでしたが、2006年から2009年まで楽曲をリリースしてきました。

現在こそ新曲の発表はありませんが、TRFとして(2006年までは小文字でtrf)今もライブ活動、DVDリリース、テレビ出演、他のアーティスト作品への参加などを行っています。

小室哲哉がプロデュースしたグループで唯一、現在もメンバーを変えずにずっと音楽活動を続けています。

(現在もTRFのメンバーはずっと変わっていなくて、DJ KOO、SAM、YU-KI、CHIHARU、ETSUの5人です)

観月ありさの現在

観月ありさはもともと女優とモデルをしていたタレントで、1991年には尾崎亜美のプロデュースで歌手デビューもしていました。

小室哲哉にプロデュースされたのは歌手デビューをした翌年1992年から。
もともと観月ありさが小室哲哉が所属していたTMネットワークの大ファンだったこともあり実現。

小室ファミリーが人気になる前から小室に楽曲を提供してもらっていたのですが、「TOO SHY SHY BOY!」がオリコンチャートで最高4位になるなど、売り上げは上々。

8頭身以上とも言われる抜群のスタイルを誇っているので、モデルや女優のイメージが強いですが、歌手活動は現在でもっとも近いのが2014年に楽曲をリリースしています。

これまで25枚のシングルをリリースしていますが、たしかにここまで歌手としてのイメージはありませんよね。

ただ、最近では女優としての活動が多すぎるため歌手活動はほとんどないですね。

プライベートではKRH株式会社の青山光司氏と2015年に結婚していて、現在はまだ子供がいないようです。

今後、小室ファミリーとしてまた新しく曲がリリースされないか期待ですが、なかなか可能性としては低いでしょう。

観月ありさの公式インスタグラムでは、まだまだ美しい現在のリアルな観月ありさが確認できます。

観月ありさの公式インスタはこちら

hitomiの現在

hitomiと小室哲哉はhitomiが芸能活動をやっていたことがきっかけで出会っています。
1993年、雑誌Fineのモデルなどモデルやアイドルとして活動していたhitomiですが、1994年に小室哲哉のプロデュースで「Let’s Play Winter」をリリースして歌手デビュー。

デビュー曲の売れ行きは芳しくありませんでしたが、2ndシングルを翌年にリリースするとオリコンで最高61位になり、手応えをつかみました。

そしてその2か月後に「CANDY GIRL」をリリースすると39万枚を売り上げて、最高でオリコン15位以内に入りました。
そこから歌手hitomiとしての活動はスタートします。

小室ファミリーからは1998年に離れてしまいますが、それでもhitomiの曲は売れており、小室ファミリー時代よりもリリースした楽曲の数も売り上げの数も伸ばしています。

音楽活動の他にも、映画の出演などもやっていますが、女優としての活躍はほとんどありません。
スタイルも良く、メディアにも以前は多く出ていたため、モデルや女優と歌手を兼業していると思われることも多いようです。*hitomiの実際の職業は「歌手・作詞家」が適切です。

プライベートでは2002年に会社員の男性と結婚。2007年にはその彼と離婚してしまいますが、その数か月後には俳優の羽田昌義と結婚。おまけに妊娠4か月であったことから、離婚後にすぐ交際に発展していたと思われました。

しかし、2011年に羽田と離婚。

2014年には3度目の結婚をしており、2016年に3人目の子供を出産しています。

現在は歌手活動はほとんどありませんが、現在の旦那さんも会社経営者で金銭的に余裕があるようですし、今後は三児の母親という立派な職業をこなすかと思われます。

ブログでは可愛いお子さんの事を書いていて、立派なママをやっていることが分かりますよ。

hitomiのオフィシャルブログ

ただ、事務所にはまだ所属していますので、今後もテレビに出ることはたくさんあるでしょうね。

篠原涼子の現在

1989年にオーディションでタレント事務所に入り、数か月後にはドラマ「高速戦隊ターボレンジャー」でデビュー。
女優としては華やかなスタートに見えましたが、その後はアイドルグループの一人として活動することになります。

1991年に「ダウンタウンのごっつええ感じ」に出演し、今では考えられませんが体を張ってコントなどのコーナーに出ていました。

アイドルとしてそこそこ知られてはいましたが、1994年に遂に脚光を浴びるようになります。

小室哲哉がプロデュースした「恋しさと せつなさと 心強さと」が200万枚を超える超ヒット。
日本レコード大賞を受賞するなど、歌手として全国に篠原涼子の名前が知れ渡るようになりました。

歌唱力はそこそこでしたが、現在では女優一本の活動をしています。

とんねるずの「食わず嫌い王決定戦」で2015年に「(今後は歌は)やらないです」と答えているので、今後の活躍もCMや映画、ドラマだけになりそうですね。

いずれにしろ、小室ファミリーの黄金時代を支えたアーティストであることには間違いないです。

市村正親と結婚しましたが、2021年7月には離婚
2人の男の子がいましたが、市村正親が引き取っているようですので、何かしら問題があったとも言われています。

それが、離婚前から関係があったと言われている韓流アイドルSUPERNOVA(旧・超新星)のメンバー、グァンス

篠原涼子の離婚後は、このグァンスと熱愛報道が過熱していましたが、現在はどのようになっているのかは、不明。

もう別れたのではないかという情報も見られています。

安室奈美恵の現在

8頭身とも9頭身とも言われるモデル顔負けのビジュアルを持ち、ライブパフォーマンスも日本屈指のレベル、音源をリリースするとヒット曲ばかり。

若者のカリスマと呼ばれた安室奈美恵ですが、中途半端に評価される部分がなく、40代になった現在も実力、人気、知名度すべて満点のアーティストです。

そんな安室ちゃんも最初から売れることはありませんでした。
沖縄アクターズスクールに通っていた小学5年生から歌とダンスに没頭します。

1991年、中学2年生の頃にアクターズスクール内で結成されたダンスグループ「SUOER MONKEY’S」のメンバーとなり、中学3年生になる頃には芸能活動を本格的にスタートさせます。

いちご白書というドラマでは女優活動をしたり、ロッテのガムのCMに出るなど、タレントとして活動していく中で、「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」に変更したグループ名で「THE夜もヒッパレ」に出演。

この時まではオリコンチャート50位以内に入っていませんでしたが、「Try Me」という楽曲でオリコンチャート10位以内を記録。

そこで一躍トップアーティストの仲間入りを果たすと、ヒッパレをたまたま見ていた小室哲哉が安室奈美恵を評価。

そこから小室ファミリーとなったのです。

しかし、安室奈美恵は当時から「ブラックミュージックをしたい」と語っていたため、小室哲哉がプロデュースしなくなってからR&Bやブラックミュージックに変わっていきました。

小室ファミリー時代は「Body Feels EXIT」や「CAN YOU CELEBRATE」などヒット曲を連発。オリコンチャートだけで言えば、小室ファミリー時代の楽曲は平均で2位という現在では考えられないほどの売り上げを記録しています。

小室のプロデュースがなくなってからも楽曲の売り上げは堅調で、1995年以降、40枚以上のシングルをリリースしていますが、オリコンで10位に到達しなかったのは「ALARM」という曲だけ。(しかもそれも11位だったのでヒット曲です)

2018年9月16日の引退を発表してからは、2017年に「Finally」というベストアルバムが最後の安室奈美恵の楽曲リリースになりました。

引退前は「ライジングプロダクション」 に所属していましたが、現在は エイベックス内のプライベートレーベルに所属していて、 そこで働いていると噂されています。

また、安室の現在はロンドンでの目撃情報や、東京、京都など、色んな所で目撃情報が出ており、どこに住んでいるかは不明。

髪の毛をボブに短く切っているとの噂もあります。

globeの現在

小室哲哉が主宰するイベントのオーディションで山田桂子(KEIKO)が参加し、マーク・パンサーもMCとして参加していたため「ORANGE」というユニットが組まれたことが最初のきっかけ。

その後、山田桂子がKEIKOに改名しORANGEも「globe」に改名。

1995年に「Feel Like dance」をリリースすると初登場オリコン3位という衝撃的なデビューを飾ります。

その後の活躍は割愛しますが、1stアルバムは400万枚越えの大ヒット。シングルの「DEPARTURES」も230万枚の大ヒットとなっており、日本の音楽を支えていたグループと言っても過言ではない活躍っぷりでした。

2005年に30作品のシングルをリリースしていますが、最後のシングルも9位にランクインするほど、デビューからずっと人気の音楽グループであるのもglobeの大きな特徴ですね。

そんな中、2002年に小室哲哉とKEIKOが結婚。
小室哲哉は3度目の結婚になり、順調に結婚生活を営んでいると思われていましたが・・・

小室哲哉の5億円詐欺容疑で逮捕され、KEIKOがくも膜下出血で倒れたりと2008年以降はあまりいいニュースがありませんでした。

KEIKOは小室哲哉が逮捕された時には「小室哲哉を助けてください」と、エイベックスの幹部に土下座をして頼み込んだそうです。

詐欺事件では小室哲哉には懲役3年執行猶予5年の刑が言い渡され、投獄されることはありませんでしたが、その後にKEIKOが病気になり、今度は小室哲哉がKEIKOを支えることで世間的には犯罪を犯したけど美談が生まれました。

しかし、2018年1月に小室哲哉が女性看護師と不倫。

「KEIKOは小学4年生のドリルをしている」など、介護に疲れたという嘘の言い訳をしてしまい、これに対して大分県に住んでいるKEIKOと家族は立腹。

そのまま離婚という流れになってしまいました。

globe現在は解散していないのですが、今後は再結成は間違いなくありません

マークパンサーは現在、家庭を持ちながら多額の印税と、たまに出演するイベントの出演料などが収入源。

KEIKOとマークパンサーは以前は恋人のような関係だったので、この2人のユニットで活動する可能性はあるかもしれませんが、それでもかなり低いでしょう。

しかし、2022年11月28日、マーク・パンサーがパーソナリティを務めるOBSラジオ『JOY TO THE OITA』(毎週月曜日 後7:30)にサプライズ生出演したことが話題に。

現在Keikoは大分県で生活していると見られていますが、これ以降、globeとして二人で活動する可能性が少しありそうです。

内田有紀の現在

GU(ユニクロ)のCMなど今も大活躍中の女優。

スカウトされたのがきっかけで芸能界入りした内田有紀ですが、中学2年生からモデルをやっていました。
その後、1992年に「その時、ハートは盗まれた」というテレビドラマで女優デビュー。
さらにユニチカの水着キャンペーンモデルに選ばれ、どんどんスターの階段を昇り始めます。

その時には高校を中退。
都大会で3位という実力を持っていたフェンシングも辞めることになり、この頃から芸能活動一本になります。

小室哲哉にプロデュースされる前に、「TENCAを取ろう!-内田の野望-」という楽曲をリリース。
なんと、オリコン史上初となる女性ソロシンガーのデビュー曲で初登場1位を獲得しており、現在もこの記録はどの歌手にもやぶられていません。

そして歌手としても評価された内田有紀は、1995年、当時ノリに乗っていた小室哲哉によるプロデュースで「Only you」をリリース。

こちらも最高でオリコン2位の大ヒットとなり、その後も小室ファミリーとして数曲リリースしており、歌手としての活動は1999年以降はほとんどありませんが、音楽シーンで女優が成功した例として大きな足跡を残しました。

実は、2002年に吉岡秀隆と結婚した際は芸能界引退を匂わせる発言をしていました。
しかし、2005年に3年間の結婚生活にピリオドを打つと2006年から芸能活動を再開。

そこからは歌は出していませんが、現在はドラマやCMなどで芸能界の大物女優として大活躍中です。

H Jungle with t(ダウンタウン浜田雅功)の現在

日本を代表する芸人「ダウンタウン」のツッコミを担当している浜ちゃんこと浜田雅功も立派な小室ファミリーの一員です。

小室哲哉のプロデュースした楽曲は全部で3つ。
小室ファミリーの楽曲「You are the one」で一部のパートを浜田雅功が担当したのも含めると4つですね。

特に歌手デビュー曲となった「WOW WAR TONIGHT」は大ヒットしました。

浜田雅功は他にも奥田民生や槇原敬之などともコラボしてCDをリリースしていて、歌手活動は精力的に行っていました。

他にも芸人としての活躍はもちろん、番組の司会業、俳優、声優などマルチに活躍中。

奥さんの小川菜摘とも何だかんだで離婚せずに続いているし、小室ファミリーの一人として歌手活動していた頃と変わらず、現在も芸能界の大物と呼ばれています。

次のページでは華原朋美や、小室哲哉のKEIKOの前の奥さんだったあの人の現在を調査!